出発前日の夜に現地入りし、朝6時の出発にむけて4時ごろ起床、スタート地点に向かいます。夜がほのぼのと明け始める中、瑠璃光寺の五重塔が見えて幻想的な風景でした。70㎞の参加者600名が集まるなか、250㎞に参加した後、応援に駆け付けてきてくれた友人達と談笑しながら、リラックスした気分でスタートを迎えました。最初の3-4㎞は舗装路を登っていきます。大きなダムを横目に徐々に緑が濃くなってきた頃、いよいよ萩往還に入ります。
ご存知の方も多いかもしれませんが、萩往還は、関ケ原で敗れた毛利氏が日本海に面する萩に城をおいた後、日本海側(山陰)の萩と瀬戸内海側(山陽)の商港であった中関を結ぶ商業道として、また、萩から山陽道に至る参勤交代道として整備した道幅4mの道路でした。幕末には、長州藩の萩から山陽道に出る要路であったことから、松下村塾の吉田松陰や高杉晋作、坂本龍馬などの幕末志士も往来したと言われています。そんな歴史のある街道を往復するのが今回の競技です。
萩往還の入口から急こう配の石畳と登山道が続きます。想像を上回る傾斜です。一息ついたと思えば、標識に鹿背坂という名称が出てきました。これ、調べていませんが、たぶん鹿も転ぶほどの坂ということですよね。マラソン大会の域を超える坂です。早々に泣きが入りながら進むと、ようやく舗装道路に出ました。そこからかなりの距離を下ることになります。これは帰り道が辛そうだと思っていましたが、最後は本当に苦しい難所となりました。平坦な道のほとんどないこの道を江戸時代の人々は重装備で、しかも籠を仕立てて歩いたのだな、と感慨にふける余裕などまったくなく、目の前のそびえる山を登っては下りを繰り返し、ようやく萩に辿り着きました。山間の木陰がなくなり、容赦なく照りつける陽の光が体力を奪う中、折り返し地点に向かいます
折り返しの休憩所でも友人が応援で迎えてくれました。日頃の運動不足を嘆きつつ、もうこのあたりで止めてしまおうかと、という弱気を友人の笑顔が吹き飛ばしてくれます、「良いペースだよ!まだまだ行けるよ!」。そこからは、来た道をひたすら戻ります。今回、時計を忘れてきたため、途中の時間はあまり気にしていませんでしたが、復路は往路に比べて1時間近く余計にかかってなんとかゴールできました。途中、大会に参加していなかった思いもよらぬ友人の応援もあり、終わってみれば楽しいイベントとなりました。その日の夜は、友人達と地元の採れたての魚をつまみにレースを振り返りました。
大会3日後、まだ痛みの残る足を引きずりながらアメリカ出張に向かう機内でこの原稿を書いています。今回も米国でヘッジファンド等との面談予定です。オルタナティブ投資を始めて20年以上、これまでも、これからも上り坂、下り坂のある業務ですが、あきらめずに一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。