OMMは英国で始まり、1968年以来毎年開催されている大会ということですが、日本では第4回目です。今回は八ヶ岳を舞台に、2人一組で、600組以上が参加しました。毎年開催場所は異なり、しかも、参加者はスタート時点で初めて、ゴールやコントロールポイントの記載された地図を渡されます。頼りになるのは、地図と持参するコンパス、そして2日間行動を共にするパートナーだけです。このパートナー、フルマラソンを3時間そこそこで走り、100キロウルトラマラソンを軽々とこなす頼もしいツワモノです。
本大会の概要は、「あえて気候条件の厳しい時期に、必要な装備を全てバックパックに背負い、常に携行し、ナビゲーション力、セルフエマージェンシー力、判断力など、全てのマウンテンスキルを駆使して挑みます。参加者には山岳地を安全かつ正確に行動するための経験、体力、ナビゲーションスキル、野営技術が不可欠であり、まさに「山の総合力」が試されます。(以上、大会ホームページ抜粋)」
登山が好き、そして、長距離走経験がある、ということで参加を決めてしまった本大会でしたが、開催日が迫ってくるにつれて、ことの重要性を認識し始めました。まず、「あえて気候条件の厳しい時期」の部分です。この時期の八ヶ岳、野辺山の気候は零下になることも珍しくなく(実際、テント泊時の最低気温はマイナス10度近かったとのこと)、防寒を含む事前準備が欠かせません。しかし、「必要な装備を全て常に携行し」ということから、山中を2日間走るためにはバックパックの総重量を制限し、また、これらの装備を背負っての行動に耐えうる体力も必要です。さらに、「ナビゲーションスキル」つまり、コンパス、地図の使い方に精通している必要があることも明らかです。しかし、日々の忙しさに追われて、準備もままなりません。大会10日前にパートナーとなる友人と一度だけ打合せをするのが精一杯でした。
大会当日、受付のある野辺山の滝沢牧場から、ザックを背負ってスタート地点まで3.5km、150mの上りを歩きます。スタート地点へ移動するだけでも、テント、食料、寝袋、携帯コンロ、水、衣服、各種エマージェンシーグッズ等、不安を反映して多めになってしまった荷物の重量が肩に食い込みます。当日の朝は雨も降り、風も強く、OMMにはお誂え向きの「厳しい天候」です。スタート地点に辿りつき、心の準備をする間もなく競技開始です。
地図を渡され、友人と攻略すべきルートを検討します。1日目の制限時間7時間で、いかに効率よく多くのコントロールポイントを回り、初日ゴールとなるテント設営地まで辿り着くかを考えます。大まかなコース取りを相談して、いよいよ出発です。天候が回復し、気持ちの良い山行となってきました。今回、私たちが参加したコースは、標高が1100mから2500mに設定されており、 コース取りによっては、アップダウンを繰り返すことになり、更に標高の高い地点では気温も大幅に下がります。地図を読む際に、方向だけではなく等高線を頼りに上り下りの想定を行うことも重要です。なるべく距離を稼ごうと、まったく道のない藪の中を進むと、体力が削られる上に時間も浪費され、視野の悪さや足場の悪さから直進できないこともありました。
コントロールポイントの設置場所を特定することも初心者には容易ではありませんでした。地図上で丸を付けられた地点の半径100m程度の範囲にあるはずのポイントを探すのも当初は四苦八苦です。実際、最初のポイントは難易度が低かったにもかかわらず見逃してしまいました。しかし、友人と2人で地図とコンパスを駆使してポイントを探し当てたときの達成感は格別です。余韻に浸る暇もなく次々とポイントを目指すことで徐々に地図読みにも慣れてきました。途中、1日目の最高度地点から、藪道や巨石が連なる崖沿いの廃道を下り、設定された区域内の最東端にあるポイントまで700mほど降りてきたときは、気温が上昇し、防寒用の服装が邪魔になります。しかし、そこから再度400m以上の急登坂となり、舗装路から藪道へと入って行きます。高度の上昇と共に夕暮れが近づいてきて急激に気温が下がっていくのが分かります。
ようやく、初日のゴールへ制限時間内に到着しました。既にゴールしたチームが設営したテントが各所に見られます。初参加としてはまずまずのスコアで初日を終えたことを確認し、友人と健闘を称えあいながら、日が落ちる前に慌しくテントの準備にとりかかります。寒さと疲れで思うように進みませんがなんとか設営を終え、待ちに待った夕食です。携帯コンロでお湯を沸かし、合流した別の友人のチームと食事と酒を楽しみます。八ヶ岳の夕暮れとその後の満天の星空を背景に時が経つのも忘れて、語り合いたかったのですが、物凄い冷え込みです。早々に食事を切り上げてテント内に潜り込みました。結局、その後、マイナス10度近くまで下がることになったのですが、翌朝、テントの外側や外に出していたものは全て凍りついていました。あまりの寒さに、翌朝6時台の2日目スタートに一抹の不安を残しつつ、1日目の夜は暮れました。