第214回 < 大学研究室の同窓会に参加して日本の財政を考えた >
大学時代の研究室の恩師が85歳を迎えられたということ、また、その先生が昨年、我々のゼミの科目であった「財政学」から一歩踏み込んだ、専門分野である「財政社会学」に関する本を出版されたということもあり、久しぶりに大規模な同窓会が催され、参加してきました。同窓会の中での先生のスピーチは、往年の授業を彷彿させる、シニカルで示唆に富んだ内容で非常に興味深いものでした。例えば、現在叫ばれている、日本の「財政危機」は1970年代に既にそのターニングポイントを迎えていたという持論を展開され、また、財政危機の定義や、解決方法を見出すのは「経済学」の枠組みでは困難であり、政治、行政等の複数の領域にまたがる現象を理解し、巻き込んでいかなければならない、という趣旨のお話をされていました。更に、最近、米国でブームを巻き起こした、フランス人経済学者Thomas Pikettyの著書「Capital in the Twenty-first Century (21世紀の資本論)」に言及したうえで、現在の金融化した米国型資本主義の在り方に警鐘を鳴らしていました。
私を含め、金融業に身を置く教え子も多かったこともあったせいか、冗談を交えてのスピーチとはなりましたが、先生の持論の集大成ということもあり、当時を思い出し、非常に懐かしく、また楽しいひと時でした。85歳という年齢に関わらず、ユーモアを交えながらの理路整然としたお話に感銘を受けるとともに、わが身に置き換えて考えれば、身の引き締まる思いでした。その後はゼミの同期や後輩と、時を忘れて飲み明かしましたが、先生のお話の内容は耳に残り、日本の財政危機問題について、また、金融化した資本主義の在り方について、あらためて考える良い機会になったように思います。
このコラムでも、過去複数回にわたって先進諸国の財政問題について、拙い私見を述べてきました。しかし、最近の先進諸国のトレンドは、中央銀行を介した金融政策を通じた取組みでの景気対策が目立った施策の大半を占めており、骨太の財政に関する議論はあまり聞かれないように思われます。先生には、財政政策の景気浮揚の一面だけを論じることについて怒られるかもしれませんが、財政の観点からの直接的なアプローチは、高齢化、デフレによって乗数効果が抑えられる状況では、景気浮揚効果が出にくいことが原因かもしれません。特に、2年4か月前にドル円が80円台を割り込んだ時には、財政政策による景気対策は、ほとんど効果がないと感じていました。
アベノミクスを称して「何でもアリ」政策とする向きもあるかと思います。また、過去にここまで中央銀行の独立性が失われた政権はなかったかもしれません。財政規律という観点に立てば、この状況は破滅的に見える可能性もあります。しかし、少なくとも、2年半前の状況に比べれば、財政政策が多少有効になる下地ができてきたような気もします。今後、米国型の金融資本主義の力を借りて、景気を回復させた先に、健全な財政と社会基盤を築くことのできる未来が待っているのかは、まさに、前出のトマ・ピケッティが「21世紀の資本論」で喝破する、富の格差の助長をどのように見るのかによって異なるのかもしれません。私たち金融業に携わる者が、過剰流動性資金を実経済の成長や人々の豊かさに資する投資へと振り向けることが出来るのかは、ミクロな視点での挑戦です。85歳を迎えられ、「面倒事は後の人に任せ、好きなことを言わせてもらうよ」という先生から、今後の金融業のあるべき姿をどうお考えか、ゆっくりお話を伺いたいと思っています。