第113回 < シカゴから見るアメリカ >
最近、仕事の都合でシカゴに来ることが増えています。今回は、2週間前のロンドン出張と同様に、ヘッジファンド関連のカンファレンスが開催されたので、そこに参加しました。また、いくつか別のミーティングがあるために、4日ほど滞在しています。会議の開催者側の融通で、今回は1861年に設立された「シカゴ・クラブ」が所有する施設に宿泊することになりました。建物自体は何度か建て直され、今の状態になったのは1929年とのことですが、今の場所に移った1893年から、基本的な構造は同じとのことです。いずれにしても、19世紀の味わいを残した建物で、ミシガン通りから見ると、周りのビルと較べてその古さが際立っています。
クラブの歴史なるものが部屋にあったので読んでみると、1861年設立後、1869年になって100人のシカゴ名士が最初の「メンバー」として認められたそうです。英国のクラブにはその歴史や排他性において及ばないとはいえ、設立来メンバーズオンリーを貫いているので、ゲストとして4日滞在するのは近代的なホテルに慣れた身には少し居心地の悪いところもあります。そこでちょっとシカゴの歴史を調べてみました。かつてはニュー・ヨークに次ぐ2番目、いまでも全米3番目の大都市で、金融、鉄道、航空、農業など数多くの産業の要となるシカゴですが、1833年には人口が200人しかいなかったようです。人口動静、人種比率動向、都市構造、文化の点から、典型的なアメリカの標準都市といわれるシカゴを見ると、全米の様子が透けて見えるといわれています。そのシカゴの歴史は案外新しく、シカゴ市が出来たのが1837年のことでした。その後、鉄道の発展に伴い、シカゴは米国内陸の要所となることで急速に発展したようです。その中で、やや洗練された形の「クラブ」が誕生し、米国文化を育んでいく中で、「シカゴ・クラブ」は誕生したようです。日本ではちょうど年号が明治に代わるころのことです。
21世紀の今日、40年で人口が200人から10万人に増加するような成長都市は米国のどこを探しても見られなくなりました。それは先進国全般に対して言えることです。今回のカンファレンスでの基調講演で、米国拠点の同業者であるファンド・オブ・ファンズの運用者は、「米国は完全にデフレの状態に陥っている」「しかし、それは昨日、今日始まったことではなく、実は過去20年以上にわたり実は起こってきたことである」「このままいくと、社会保障を得ることはなく、年金も受け取ることが出来ない世代が確実に、しかもすぐに到来する」と述べました。われわれ日本では、米国よりも早く経済のピークを迎え、デフレ、及び人口減少を経験しています。本来、米国の危機感の比ではない状況にきているはずです。米国経済の急成長時代にあたる1890年から1930年には、シカゴでは貧富の差からくる深刻なスラム化の問題が生じ、現在まで尾を引いています。米国でのマネーサプライは、実質経済の成長をはるかに凌駕する量ですが、銀行が歯止めとなり実質経済の活性化につながっていません。実質経済の成長を伴わない現在のマネー過剰供給は、世代間の借金を徒に増やすだけであるということも自明の理です。
新天地の開拓や急成長、あくなき豊かさの追求は過去のものとなり、いまあるインフラストラクチャをいかに維持するか、ゆっくり、しかし持続的に成長させるかが目標となってきたような気がします。もちろん、新興国をはじめとして新しいフロンティアがないわけではありません。しかし、われわれすべてが新興国に向かうことも出来ず、また、出来たとしても新興国は、いずれ必ず現在のアメリカや日本のように変遷します。そのような時代が来ているということを認識し、そのような環境にあった対応、つまりサステイナブルな社会、金融市場の構築を考え、実行するのがわれわれ世代の役割だと思います。
今回、シカゴの歴史ある施設に宿泊しながら、古きよき時代の残り香を感じ、同時に今われわれが生きている時代とのギャップを感じながら、これからの私たちの役割や仕事のあり方について少し考えさせられました。