師走に走るは師匠のみで、我がペンは走らず締切に冷や汗だけが額を走り、リスクとは、という疑問だけが頭の中でぐるぐる走り回る
私の住む浅草の12月と言ったら、羽子板市もそうですが街のあちこちでバーゲンのようでして、フライングして11月の最終週にやっていた、浅草というよりほぼ南千住に程近い玉姫稲荷神社の境内で催されていた「靴のめぐみ祭り市」を皮切りに、今週末は浅草の言問通りの北側に広がる靴などの革製品のメーカーさんたちが開催する A-round、そして、週末ごとに我が土産物屋の交差点の向かいにある東京都立貿易センター台東館では洋服のメーカーさんから浅草の誇るスーツケースメーカーさんまで、4フロアーある会場狭しと在庫放出赤字覚悟、ってな具合でやるものですから、このところの外出控えなぞなんのその、ちゃんと入場制限のための事前予約をオンラインで行って、それでも朝からたくさんの人でごった返していた、なんて聞きますので、皆さんやっぱりお買い物が大好きですよね。それでも、馬喰横山や岩本町などの衣類関係の問屋さんの年末の大売り出しは今年も中止になった、なんて聞くので、まだまだ道遠し、なのでしょうか。
かくいう私もこのところ財布にお金を入れることも少なければ銀行から下ろすことも少なくなったなぁ、なんて思っていましたがこの18ヶ月でそもそも外出する機会が少ない中で支払うならばクレジットカード決済にタッチ決済、それ以上にオンラインショッピングのおかげでクレジットカードの毎月のお支払い額が今まで見たことのない異次元に突入していることから、トント現金を触る機会が減りましたねぇ。ニュースで最近発行されたなんて聞いたシン・ゴヒャクエン、いや、新500円硬貨なんて見たことがないです。と言いつつ、あ、久しぶりに500円玉貯金してみるかなぁ、なんて思ったり。でも貯めるには使わなければいけないし、そうそう外に出ないから貯まらないか、なんてちょっと思ったり。
モノ、は作るまでが目的じゃなく、使ってもらってなんぼ、ですが
そうそう、使うって話でしたね。年末に頑張ってバーゲンをされているメーカーさんたちは、いい素材を仕入れて、いいものを作って、あとは売ったら、その商品が買った人のところでいい仕事をする、ということですので、在庫で寝ているよりも使ってくれる皆さんのところに届けるのが大事だし、使ってもらってなんぼ、という世界。そう思うと、作るまでの準備と作るプロセス、そして売るプロセスがビジネスの基本にある、ということですよね。
それに対して、私が社会に出てから身を置いて過ごしてきたお土産屋、じゃなくて、金融の世界と言うのはどうも違う。土産物屋なんていうのは売れそうなものを在庫に押さえつつ、いかにパッと売りながら開いたスペースにまた仕入れて、なんてまずものがありきですから、このものを置く場所をいかに回転させるかが大事なわけですが、金融なんてのはお金ですけど、さっきの話じゃないですが、もはや物理的なお金というのを触れることがほぼない。通常日本で銀行員になったら、お札勘定がパッと出来なきゃいけない。あれですよ。お札束をきれいに一枚一枚少しずつずらして扇のように広げて、サーっと素早く数えるなんて、普段から紙っキレを触っていないと出来ない芸当な訳ですが、私みたいに、ちょっと間違えて本店が日本じゃないところの銀行なんかに入っちゃうともうだめ。そもそも支店がない。支店がない、ということは窓口にお客様がいらっしゃってお金を出し入れする、なんて機会がないってことですから、お金に触るなんてこともない。
それに比べて金融機関の提供する商品の作りは、といえば
まぁ、私が入っちゃった銀行はそれでも支店はありましたが、支店配属してそこから本店で何かをする、なんて広く仕事を学んで考えろ、なんて考えのない世界でしたから、いきなりインターバンクの取引ですよー、取引単位が1億円だのワンミリオンダラーだの、普段の土産物屋で見る、ペットボトルのお水が一本110円、雷おこしが一袋で500円に消費税、なんて世界からしたら、ペットボトルのお水が100万本ですよ。毎日一本飲んでも、2,740年近くもかかっちゃう世界。学生時代にやっていたテニスなんて、プロは両手で足し算できれば生きている、なんて言っていた時期でした。ゲーム数は一桁、ポイントだって形式上0とかいてラブと読む以外は15、30、40って、見た目は二桁。実際には、6ポイントある一ゲームのうち多く取った方がそのゲームを得る、そのゲームを10あるうち多く取ればいいというものですから、実は一桁の話です。ですから、大体両手があればなんとかなるくらい。
その世界からしたら、金融なんてのはもう、桁が違うなんてものじゃないのです。そうなると、そんな金額のお金を当然持ち歩くこともなければお目にかかることもなく、数字だけが一人歩きするしかないわけですから、そりゃ、お札なんて見ないわけです。
となりますと、金融なんて商売は、数字とデータの世界、とか思われますよね。でも、それ以上に、そのデータとかデータに思えてくる数字をいかに大事に取り扱うか、ってのが大事になってくるわけでして、その最たるものが、弊社でも提供している「ファンド」というやつです。このファンドってのは、ものづくりの世界の商品とどうも順番が違うようでして、営業あたりは多分起こると思いますが、売るのなんていうほど手をかけていない。在庫を運んで店頭に並べるなんて、もう分厚くてきれいな目論見書なんてものを配らなくなった21世紀ではトント見かけない風景でして、あなたが今読んでいる記事の隣のブラウザーのタブなんかがオンライン証券のホームページだったら、もはや、条件をいくつか入れて検索したら良さそうなファンドのリストができて、それのひとつをクリックなんかするとあれこれ能書きとカラフルなチャートがあれこれ出てきて、ああ、よさそうだな、なんて思いつつpdfの目論見書をささっと流し読みしたら「購入」ぽちっ、でファンドが買えちゃうわけですよ。もう、ものなんて何、それ美味しいの?って言いたくなるような風景。
ファンド商売はいうほど楽ではないのですよ。。。
でも、ファンドで大事なのは、買っていただいてからでして、ファンドですから投資対象の資産を日々売ったり買ったりして資産を増やすなんてお仕事をするファンドマネジャーなんて人が頭を使ってお仕事しつつ、そんな彼らの判断で売り買いした結果、その決済と言ってお金と資産の引き渡しを間違いなく行うようにしなければいけない事務方なんて人もいて、ついでに言えば、その売り買いが目論見書でお約束しているルールにちゃんとあっているかどうか、また何か世界が大きくでも小さくでも動いた時にファンドにどれくらい影響があるのか見て、時にもうこれ以上はダメよ、と見張るリスク管理な人や、取引所や国のルールなどにちゃんと従って取引がなされているのか見守るコンプライアンスの人がいて、毎日毎日、みんな繰り返しそれぞれのお仕事をしているんです。
ええ、よくファンドの仕事っていいですよね、パーンと儲けたらパーンとお給料もらえるし、なんて思われてますが、そんなのはごく一部。ファンドの報酬はあちこちで高いなんて言われて報酬を削られて(でも、それを売っている人たちへの報酬はどういうわけか削られず)、それでも資産の売り買いの判断をしている人たちにはいい売り買いをしたよね、って成功報酬が払ってもらえるかもしれませんが、裏方はそういう付加価値を与えてないって思われがちだからそういうのとは縁のない世界なのです。しかも、どっちかといえば失敗の方が目立つ世界。ちょっとした罰ゲームみたいな日々のお仕事、って思われていますから若い子はどうしてもなり手がいない。そろそろファンド運営のカリスマみたいなことをしないと人が集まらないかしら。。。
ん?なんか愚痴ってるな。。。でも、そう見ていただくとわかるのですが、金融のお仕事って、ファンドに限らず、預金だってそうで、住宅ローンを貸すのもそうなのですが、ものつくりの世界と違って、買っていただいてからが本当の仕事が始まるのです。しかも、商品自体、結構長い期間続くものが多いですから、ある意味日々同じことの繰り返しを事故なく繰り返すことが求められている、という感じです。安く買って高く売って儲けてイェイ!なんてのは本当にごく一部の世界です。
多分世界で一番よく出来たオペレーションと教育体制
ということなので、日々の手作業が売り物の私たちなのですが、その観点で実は違いのないお仕事、というのがパッと思い出せるのですが、私、実は一番最初に入った企業さん、日本マクドナルドって会社さんなんです。しかも諸般の事情で高校生の時に。って、まぁ、いわゆる店舗でハンバーガーを焼いて売るってバイト、なのですけどね。でも、自分の中ではここでの1年足らずの経験が実は大学院を出て社会に出る時に学んだ以上の、会社を動かすことについて大事なことを学んだ場所、なのです。どういうことか、というと。。。
まぁ、ここでは略してマクドとしましょうか。マクドって、入るとハンバーガーの作り方のマニュアルを手渡されるんです。で、それを読みながら、しかも作業する(ええ、料理する、ではないですよね、やったことのある人ならわかると思いますが)機械(キッチンじゃないですよ)はマニュアルに書かれた極めてシンプルで余計なことがほぼ出来ない機能だけ。いわば、ボタンが一つに熱々のグリル、以上です。
で、たとえばハンバーガーのお肉の作業、というと、マニュアルに従って、週に数回アメリカのセントラルキッチンで造られて輸入された冷凍のパティを等間隔に並べてボタンを押す。すると、一定の時間が経つとブザーがなる。そこで、スパチュラを使ってパティを一枚ずつ奥から手前にかけてひっくり返しては同じ場所に戻し、全部ひっくり返したらまたボタンを押し、決められた高さから、決められた割合で調合されている塩胡椒が容器から均等にかけたらちょうどブザーがなってパティをスパチュラで別のところでセットしたバンズ(かバンズの上に置かれたチーズ)の上に一枚ずつ載せる、といった具合です。って、よくも30年以上前の1年足らずの経験を書いているなぁ。。。
で、この仕事がマニュアルにも同じように説明されていて、この機材はどの店舗に行っても全く同じ。お肉の焼き方マニュアルも一緒。なんなら、まだ1980年代の終わりなんてグローバルでもインターナショナルでもないのに、マニュアルは日本語、英語、中国語が揃ってあるのです。
で、これがもしビッグマックを作るなら別のマニュアルがあるけど、同じグリル(とタイマーボタン)で出来る様にマニュアルが組まれているし、朝のメニューのパンケーキも同じグリルで出来るようになっていて、まぁ、お肉を焼くとグリルが焦げたりするから朝しかできなかったり、ポテトの揚げ方からシェークの作り方、果ては閉店後のグリルの清掃方法やシェークマシーンの洗浄方法、開店前のグリルやコーヒーマシンやジュースマシンなどの準備方法まできっちり分かり易いマニュアルになっているのです。
これのお陰で、日本中(もしかしたら、世界中でも?世界バイト行脚ってやったことも聞いたこともないのでわからないですが。。。)、どのマクドででも年齢性別問わず(器用さとか物覚えの良し悪しの差はあれど)即戦力になれるし、胸についているネームプレートの横にある金銀銅のスティッカーで、どの作業がどれくらい出来るか一目でわかることで(階級と時給単価にも跳ね返るので)モチベーションを高める(当時は誰も言わなかった)ゲーミフィケーションのコンセプト、家族の都合での転勤に伴う引っ越しがあっても、その先にマクドがあればそこでもすんなり店舗で働ける、人材のポータビリティとそれを可能にするトレーニング・ツール、などなど、組織的に、属人的にならないようにしつつ、どこででも同じものが同じように作れて提供できる、を支える仕組みや仕掛け、というのは、大企業でもなかなか実現するのが大変なものなのです。これに近い、どこででも同じ仕事ができる、って業種は、私が知る限りは自転車メッセンジャーくらいなものです。運転免許は不要なので、地図さえ読めれば言われたところに行って荷物をピックアップして届けるだけ、なので、私の知人の経営するメッセンジャー会社には、メッセンジャーの世界大会で知り合った友達が日本に来たい、と言って来ては、滞在費用の一部をメッセンジャーの仕事を行って稼ぎつつ、東京や京都の街と生活を満喫していたそうですからね。。。
じゃあ、金融の世界はどうなの?
まぁ、こんな経験が根っこにあるので、気づいたらバックオフィス仕事とかそういうのを組み立てていかにエラーを減らせるようにするのが楽しいか、と思って仕事をしている部分があります。とはいえ、これを金融の世界で実現するのは本当に難しいです。いくら取引単位を均一化し、中央決済のコンセプトを入れることで取引相手の倒産による決済リスクを排除し、などなど色々な手を尽くしている上場株式とそのファンドの世界ですら、かなりのものを自動化に置き換えられている、と言われても、完全無人のオペレーションリスクフリーになりきれない、のです。それに付け加えて、市場という世界での取引ですから、2007年9月からの市場に対する外的ショックでの取引不成立の続く日々、なんてことで潤沢にあったはずの流動性が一気に姿を消す、なんて状態すらあるわけですから、金融商品には想像するだけでも多種多様なリスク、というのを内包している、のです。
リスク、それは資産が直接的に減ることを意味するのではなく
実際、ファンドに投資するとどんなリスクがあるの?市場での価格のリスク、言い換えると儲かるか儲からないか、だけじゃないの?って思われるかもしれません。一番目立ちますしね。でも、この価格のリスクだって、単純に保有している資産評価が変動する、って話に留まらず、値段が下がりすぎれば売れないので資金化出来ないリスクが高まりますし、高すぎたら目指すリターンを作れないので買えず、結果として現金を保有し続けて資産価値を増やす機会を逸しているのです。また、前述のように、誰も買いたがらない、売りたがらない、なんて2007年の10月のような状態になれば取引所だから絶対にあるはずとされた流動性が枯渇した、なんて言い方をして、取引がそもそも存在しないので資産評価の基準になる「その日の最後に売れたならば」という前提が消えてしまうなんてことになって、個別の資産価格の結果として算出されるファンドの保有資産の評価すら出来なくなることだってあり得るのです。ええ、そんな日にファンドは日次流動性があるんだから買い戻してお金にしてよ、と言われたってどこで売って現金化しろ、というのでしょう。。。
さらに続けましょう。もし取引所の取引ならば売りの一番安い値を付けた人と買いの一番高い値をつけた人を結びつけるルールがあるからなんとなく取引価格は連続的に見えるのですが、それだって個々の取引がひっきりなしに成立しているからそう見えるだけ。となると、たまたまそれまで取引が成立していたところと全然違う価格帯のところで売値と買値の指値があってしまったらいきなり取引価格が大きく変わってしまう、なんてことだってあり得ます。そんな?って思うでしょ。そもそもその日の寄り付きって前日からの流れだけで始まります?それに取引所を使わない為替取引で流動性が低い、言い換えると市場参加者が少ない環境だと、いきなりそれまでの流れと違う値付けが一箇所だけ突出して発生する可能性が否定できなくなります。弊社の手掛けているセカンダリーファンドの世界は特に国内ですと市場参加者が少ないので、こんなパルスみたいなことすら起き得ませんが、むしろ買いたい時に買えない、売りたい時に売れない、という市場の不存在に伴う資産取得・売却のリスクというのがより大きくなります。
あら、こんなところにリスクが、たまねーぎーたまねぎ、あったわね。
さて、ここまでは、買う、とか売る、といった取引の成立に関する話でしたが、取引というのは、契約して握手したら終わり、ではありません。遠足が家に帰るまでが遠足なのと同じで、取引は契約を締結したあと実行してものとお金の受け渡しをして、確認するまでが取引です。この感覚は上場株の取引にいるとちょっと希薄な感覚になりますよね。オンライン証券でこれ買う、ってポチッとすると自分で買った証券が自分の口座にあって、その決済代金と手数料分だけ資金残高から減る、それだけですよね。これは、取引所との取引の形にする、と言う中央集中決済の方式をする時に、取引相手のリスクを出来るだけ無くして、仮にあっても極小化するための仕組みがあるから、です。どう言うことかって?あなたがとある銘柄を証券取引所で買ったとしたら、証券取引所の反対側に、その銘柄を売った誰かさんがいらっしゃいます。でも、その人を私たちは知らずに取引を成立させているのは、売り買いの相手を取引所としているからです。そうすることで、簡単に言えばその売ってくれた誰かさんがちゃんと株券を引き渡してくれるかどうかを気にせずに株券を手に入れることができます。
ボタン一つで取引できる、訳ではないこの世の中
でも、それはちゃんとそういう取引のインフラが存在するから、そんな相手が誰であるかを気にせずに取引できるのです。ですが、例えば、不動産を買ったり売ったりしたことのある経験がある人ならご存知かと思いますが、不動産の売買って、売買契約を結んで、手付を払った後、後日売主さんの銀行の会議室に売主と買主と、それぞれの宅建業者さんとが一堂に集まって、買主が銀行さんからのローンが自分の口座に入るのを待って、それから自分の口座から売主の口座に送金をして、売主の口座に着金を確認するのを確認したら、司法書士さんに登記の変更の手続きに行ってくださいね、なんて言ってやっと解散、と言うことをするのですが、まぁ、21世紀の今ですら、銀行間の送金に時間がなぜか掛かるのでみんな気まずい感じで待つか、誰かこう言う間に慣れた人が面白い話でその場を盛り上げつつ「今、お金はどの辺りにありますかねぇ。」なんて話をしたり、というコミュニケーション能力を問われる機会にもなる一方で、契約を締結して、手付を払ってから、引き渡しの時までに相手が破綻して売買資金を相手に引き渡せなくなるか、それまでに災害で不動産物件が大破していないか、なんてことなく無事に引き渡しが出来るか、を確認する場にもなっているのです。要は取引相手が取引を履行できるか、と言う信用リスクがある、と言う話なのです。
その取引履行、と言う話で言えば、弊社や手がけているセカンダリーの世界ですと、ファンドの持分を買わせていただく際に、ファンドの持ち分の発行者とも言えるファンドのgeneral partnerさんが、この買わせて頂くにあたって、持ち分の移動が発生する訳ですから、その持ち分の移動の承諾をするか、と言うのが取引成立の当たってのリスクになります。え?譲渡承諾っているの?譲渡承諾なんて誰にでもするんじゃないの?って思いますよね。そんなことはないんです。国内の私募ファンドあたりですとよく「適格機関投資家限定」なんて投資家の縛りのあるファンドがありますが、と言うことは、新しくファンドに入る買い手は「適格機関投資家」出なければいけない、と言う話です。でも、よく間違うのは「自分(のファンド)はプロの投資家しかいない海外ファンドだから大丈夫」的に思う人がいるんです。でも、金融商品取引法において「適格機関投資家」と言うのは法律に定められた一定の条件を満たして、場合によっては金融庁/財務省への届出が完了しないと当てはまらない、のです。そう考えると、契約を締結したのはいいけどその後のKYCの結果、そのファンドとしての適格性を満たしていないので譲渡承諾できません、と断られて契約履行できなくなる、なんてことだってあり得るのです。
そのお陰で、私は、といえば、全ての取引案件で、新しく買おうとするファンドの持分とそのファンドの要求する適格性というのを一つ一つ細かくチェックしていく、というのを100ページ以上の契約書相手に行うなんてことをさせられているのですが。。。
閑話休題。
今までは個別案件での取引が最後まで実行できて、それがいかに評価されて、最後に売却して資金化出来るか、なんてところにリスクの評価をしてみましたが、ファンドに投資する、というのはそれだけではありません。その投資家にとっては、その設立国でファンドが存在して、契約通りに運営されて投資活動をきちんと継続して、最後にその投資家にきちんと投資資金を返還して、不要な債務を生じさせることがなく、仮に途中で運営者が破綻してもファンドの資産は運営者からきちんと切り離されている、というのを確認する必要があります。また、ファンドの持分(ユニットトラストのユニットから、組合の組合持ち分まで)、ファンドが買い取るか買い取らないか、というのは投資家にとって自分の都合に合わせて途中で現金化できるかどうかの大事な要素、でしょう。言い換えれば、今のどれ一つ取っても、リスクになる、ということです。
ファンドのリスク、はあちこちに
よく、この辺りの話をすると、ファンドの運用者の過去のトラックレコードを見て、いいパフォーマンスを出しているかどうかだけ見て判断する、なんてのがありますけど、上記の通り、そのトラックレコードというのは売り買いの判断だけでなく、それを正しく取引として履行することを繰り返し行える機能やチームが継続的に維持されているか、また、仮にそのチームの主要メンバーが何らかの事情で脱退することになっても引き続き運営することが出来るか、という組織的な運営体制を問われることになります。また、投資資産に合わせた適正な流動性をファンドが提供しているか、という流動性マッチングのコントロールができるか、というのも問いているのです。
そのようなファンドの運用体制や手法だけでなく、ファンドはいわばその国の法律で成立する企業体のようなものですので、その国の法令の改正などでその運営や存在の特性が変わりえることがあります。ケイマン諸島などカリブ海のオフショア諸国を例にするとこの10年でファンドを取り巻く規制環境が大きく変わりました。その結果として、AML/KYC/FATCA/CRS/ES/FPAなどへの適合が求められ、結果としては運営コストが増えて、投資家の負担も増えた、と言えます。さらに大きな言い方をすれば、国が崩壊したらその国の法律が有効でなくなるため、その法律に基づいて出来たファンドすら存在を否定され得るリスクがある、のです。流石にここまで派手なことは過去20年以上ファンドなどの器の管理・運営をしてきた経験にはありませんが、とはいえ、ソ連や西ドイツ・東ドイツの統合のようなことがヨーロッパで起きていたことを考えると、世に言うテールエンドのリスク、として忘れてはいけないところかもしれません。
なんて、考えていくと、リスクなんていうのは今、みんなの頭の中にあって想定できる事象を全部書き出して開示して10歳児がわかる程度に理解できるようにせねばならない、ように思えますよね。でも、どうも、それだけではだめ、なようです。前回の記事で、電子製品の説明書が分厚くなった理由、あれは濡れた猫を電子レンジで温めたらあっという間に乾くんじゃないか、なんて予想もしない使い方をして事故が起きたことが増えたので、そういう使い方をしないで、とか、したら危ない、というのを書かねばならなくなった、からです。
だから僕たちはついこう言ってしまう。でも、誰のためでもなくあなたのため
幸か不幸か、ファンドを初めとする金融商品は家で猫を温めることも出来なければ、物理的に何かを生み出すことが出来ません。なので、全ては金融資産としての価値が毀損して、0になる可能性がある、ことを想定して書くことで心の準備だけをしてもらう他にありません。とは言っても、私たちはそれでも小説家ではないので合理的に想定出来ないリスクは書けません。ですので、どうしても
「リスクはこれに限定するものではなく、投資は投資家のリスクに伴うものです」
と書かざるを得ないのです。え、それは(社会的だろうが会社的だろうが、はたまた感情的にだろうが)困る、という声が聞こえてきそうですが、上記のリスクと書いて将来の不確実性という誰にもわからないことに関することを読んでまだ仰るならば、正直自分の責任で投資する、ということを今一度考え直して欲しいところです(キッパリ)。要は、ファンドはあなたの将来と信頼する投資戦略に基づく投資をあなたに代わって行いますが、(保険料というには安すぎる報酬で)リスクの肩代わりをすることもなければ、間違っても必ず儲けさせるものでもない、のです。
まぁ、物を買う、も多少似たようなところがありますよね。ちょっと季節に合わないかもしれない、という服であっても、それを着たら自分が元気になれるなら「おしゃれとは我慢である」なんて言いながらも、ちょっとくらい寒くても着ちゃう、人もいれば、寒いのが嫌だから、体型とか見た目とか考えずに何枚も重ね着する人もいるわけです。え?体感温度への忍耐力も金融的忍耐力も人によって違うって?じゃあ、自分に合ったリスク許容度で投資を、としか言えないわけですよ。そのために適合性の原則って言葉があるのですから。。。
まとめ(というか、オチ)
ということで、なんでしょう、一部の業界内の私のパブリックイメージにある、世に言う辛口トークになりましたが、来年になって研修会で取り上げるPPMにガッツリかかれる、このリスクの話はどうしたってリスク許容度を誰のためにどこに置くのか、に大きく変わるので、社内でもよく議論になるところですが、外から見たら、ちょうど今真っ盛りのバーゲン時期のお財布の紐が堅いのか緩いの夫婦でわちゃわちゃやっている、程度にしか見えないことのようでして、とはいえ、マクドのハンバーガーとフレンチフライを買うのにこんなにややこしいことはなく、プライスレスな笑顔と共に渡された温かい食べ物が、胃袋に入って幸せを感じて終わるくらいならいいのに、と思うのです。
お後がよろしいようで。